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キューバにおける医療の現状
  地域医療と国際医療支援活動を推進

   

               岩垂 弘(ジャーナリスト)


 「キューバが、質の高い医療を国民すべてに平等に提供している現状、そして自国が貧しいにもかかわらず、他の途上国に医師を派遣している姿がよくわかりました」。東京の明治大学で開かれたキューバ友好フォーラム「カリブの奇跡キューバ――医療先進国の知られざる国際人道支援活動」の参加者の一人は、フォーラム主催者がフォーラム参加者を対象に実施したアンケートにそう答えた。フォーラムはキューバの医療に対する理解を深めるうえで大きな役割を果たしたとみていいようだ。 


「カリブの奇跡キューバ――医療先進国の知られざる国際人道支援活動」は2006年11月25日、明治大学リバティータワー1022大教室で開かれた。主催はキューバ友好円卓会議。 キューバ友好円卓会議は、キューバとの友好促進を願う団体、個人により2003年9月27日に東京で設立された。運動団体というよりは「キューバ国民との友好を目指す団体・個人が一堂に会して情報を交換し合う場」として発足した。

 具体的には、@キューバとの友好促進A日本におけるキューバ友好団体、個人の交流ネットワークの促進Bキューバ友好に関する情報交換と発信Cイベントでの相互協力と協同企画、を活動目的に掲げている。キューバに自転車を送る会、キューバに鍼を送る会、ピースボート、パルシステム生活協同組合連合会、キューバ連帯の会などの諸団体と個人が参加している。

 年1回イベントを行うことを原則としているが、第1回は2004年11月に東京で開催したキューバ友好フォーラム「有機農業・医療・教育で世界のトップを行く カリブの奇跡キューバ」。歌手の加藤登紀子、朝日新聞記者の加藤千尋、地方公務員の吉田太郎の3氏が自らのキューバ体験をもとにこの国の魅力を語った。第2回は2005年7月にやはり東京で開いた、田中三郎・元駐キューバ大使の講演会「フィデル・カストロを語る」。そして、第3回が今回のフォーラムだ。

 今回、キューバの医療を取り上げたのは、まず「社会主義国キューバには、自慢できるものが三つある。治安の良さと教育レベルの高さ、そして無料の医療だ」(2005年3月28日付毎日新聞)とされるように、キューバの医療が世界的に関心を集めているところから、その実情を日本の市民にも伝えたいと思い立ったからである。

 併せて、キューバの医療を通じた国際人道支援の実態を日本に紹介したいという狙いもあった。湾岸戦争以来、米国などから「日本は経済援助だけでなく、武力を通じての国際貢献にも乗り出すべきだ」との圧力が強まっているところから、円卓会議としては「日本は武力によらない国際貢献にこそ傾注すべきだ。例えばキューバの試みに目を向けることも必要ではないか」と考えたわけである。

 さて、そのフォーラムだが、キューバから医師を招請できるかが最大の懸案だった。幸いにも女性医師の来日が実現し、円卓会議の意図はかなえられた。

 来日したのはアルレニス・バロッソ・ペレスさん。首都ハバナ在住の総合内科医で25歳。アルレニスさんはフォーラムで報告したほか、非営利・協同総合研究所主催の第6回公開研究会や、円卓会議が国会議員向けに衆議院内で開いた集会、日本有機農業研究会科学部が主催した「食の未来を問う 映画と講演の夕べ」で講演した。 


 それらを通じてアルレニスさんが明らかにしたキューバの医療と国際医療支援活動の一端は次のようだ。

 キューバの人口は約1100万人。彼女によると、革命(1959年)の前と後では、国民の健康や保健面で格段の差があるという。まず、医療水準を示す指標の一つの乳児死亡率。革命前は1000人につき60人だったが、2004年は1000人につき5.8人。これは先進国なみの率という。それから、国民の平均寿命。革命前は60歳以下だったが、2004年には76歳。06年は80歳に達する見込みで、これも先進国なみという。

 こうした変化は、革命後、国が医療の充実に力を注いできたことでもたらされた。彼女によれば、革命前のキューバには医師が6000人しかいなかった。それも大都市に集中し地方はゼロだった。が、医師の養成に取り組んだ結果、2004年には6万8155人に達した。06年には7万0595人になった。

 医師の人口比をみると、キューバは1000人あたり6.1人。別な言い方をすると、国民163人に医師1人の割合となる。日本の3倍以上だ。 

 医師が多ければ、国民はそれだけ医師に診てもらえる機会が増えるわけだが、キューバの場合、独特のシステムによって、医師は国民一人ひとりにとってより身近な存在となっている。それは「ファミリードクター(家庭医)」と呼ばれる制度である。

 これは、いわば日本でいう「ホームドクター」的なものだ。ファミリードクターと呼ばれる医師が約160世帯をうけもつ。ファミリードクターは地域の診療所につめ、管轄内の住民のカルテを常備し、24時間対応で住民に対し4つの業務を行う。予防、保健教育、治療、リハビリである。往診もする。

 地域の診療所で手に負えない患者は、レントゲン撮影などの検査機能を備えた「ポリクリニック」と呼ばれる施設に移され、ここで諸検査を受ける。この施設はファミリードクター約15人につき1カ所の割で設けられている。検査の結果、入院が必要な患者は大病院に移される。

 ファミリードクターの数は2004年現在で3万2060人。医師の約47%にあたる。

 ここには、医療の基本は地域医療にある、それも、予防にあるとの方針が貫かれている。いわば地域に医療のネットワークが網の目のごとく張り巡らされている感じで、住民はそれを無料で利用できるのだという。 

 アルレニスさんによれば、大学医学部卒業後は全員、2年間の地域医療従事が義務づけられている。アルレニスさん自身、ファミリードクターで、ハバナ空港近くの地域診療所を任されている。受け持ち人数は370人。午前は診察、午後は往診で、患者は1日平均30人程度だそうだ。 


 アルレニスさんによると、キューバが国際医療支援活動を始めたのは1969年から。いまでは、中南米、アフリカ、アジアを中心に世界69カ国に常時約2万人の医師を派遣し、医療活動を行っている。

 それとは別に、2005年から緊急援助活動を行っている。きっかけは、同年8月に米国南部を襲ったハリケーン「カトリーナ」。米国の被災者を救援するため「ヘンリー・リーブ災害救援部隊」が創設された。

 へンリー・リーブとは、キューバ独立戦争でキューバのために戦った米国の医師の名前。カストロ議長の呼びかけに医師1万人がはせ参じ、キューバ政府はうち1500人を被災地に送る準備があることを伝えたが、米国側が受け入れを拒否、待機していた部隊は出発できなかった。

 しかし、この部隊が、世界で災害が起きるたびに現地に派遣されるようになった。例えば、05年10月のグアテマラの台風被害に700人、同じ時期のパキスタン北部の地震被害に2283人、06年5月のインドネシアの地震被害に135人をそれぞれ派遣した。

 アルレニスさんもこの部隊の一員として、パキスタンとインドネシアに派遣された。「パキスタンでは災害地の野営キャンプに7カ月滞在し、子ども、老人、婦人たちを診察しました。災害地は寒くて荒涼としていて、しかも乾燥していて大変でした。私は、希望をなくしている人たちを助けたい一心で部隊に参加した。私たちは連帯の大使として受け入れられ、人々に喜ばれた」

 医師を海外に派遣するだけにとどまらない。キューバはチェルノブイリ原発事故で被曝した子どもたちを1990年から無償で受け入れ、療養させている。すでにその数1万数千人にのぼる。また、「ラテンアメリカ医学校」は、ラテンアメリカ諸国に対し医師養成をサポートするための教育機関で、24カ国から2万人を無料で受け入れているという。「パキスタンからも1000人の留学生を無料で受け入れています」とアルレニスさんは言った。 「キューバの英雄、ホセ・マルティは言いました。何かものを言う時、一番いい形はそれを実行することだと。私たちはこの言葉に啓発され、医療の仕事に携わっています。私たちは、金もうけのために国際医療支援活動をしているのではありません。失われるかも知れない生命を回復させるために友情と友愛を手に国境を越えて人道的連帯の仕事をしているのです」。アルレニスさんの言葉がひときわ印象に残った。

 私たちは、日本の医療の現状と、日本政府による海外援助のあり方に改めて目を向ける必要がありはしないか。キューバの女性医師の報告はそう問いかけている。

 (これは、特定非営利活動法人 非営利・協同総合研究所の研究所報「いのちとくらし」NO.18に掲載されたものを転載させていただいたものです)




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